●言葉を考える

64.平成29年3月20日(木) 春季彼岸会の一席
 演題「言葉を考える」 布教師 住職(服部潤承)


 秋の彼岸会から半年がたちました。大勢ご出席いただき、皆さんにお会いできましたことが大変うれしく存じます。と言うのは、ご本山に出仕して2年と2か月が過ぎ、6月には折り返し点を迎えます。ここまで大過なくやって来られましたのも、皆さんの並々ならぬご理解の賜物と御礼申し上げます。
 私は慣れない仕事で毎日が苦労の連続で、特に先般の年末・年始は大変でした。持病の心臓病は薬を持ちながらやってまいりましたが、この間の健康診断で腎臓も悪くなっているとの診断を受けました。お釈迦さまはこの世に生を受けた限り、生身の体は、いつも病の苦しみがついて回るものであるとお諭しなっておりますので、ごく当たり前の自然の現象だと自分自身に言い聞かせて毎日奉職しております。
 愈々春本番。と言えば春一番があります。穏やかな春、鳥は囀り花開く季節に、誰かの悪戯かのように大雨が容赦なく叩き付け嵐がこれでもかと吹き荒ぶ、現実の自然の有り様を映し出しております。その中で私たちは生きて行かねばなりません。六波羅蜜の三つ目に忍辱があります。屈辱や苦しみに耐え忍び、心を動揺させないことを言います。風雨に曝されている桜を見て、今年の桜もこれで終わりかと落胆するのが関の山、これでは忍辱波羅蜜とは言えないのであります。
 お彼岸が終わりますと、花まつりです。明治34年、はじめてドイツのベルリンで花まつり(ブルーメンフェスト)と呼ばれました。それまでは、降誕会・仏生会・浴仏会・龍華会・灌仏会・花会式と呼ばれていました。この多くの名前をもつ花まつりは、なんの記念日でしょうか。古くは606年奈良の元興寺で行われたことが、「日本書紀」に載っております。
 2500年前、紀元前463年4月8日現在のネパール・ヒマラヤ山麓にあつた釈迦族の国カピラ城の東方にルンビニの花園(世界文化遺産)で、お釈迦さま(ゴータマ・シッダッタ)が誕生しました。お父さんを浄飯王・お母さんを摩耶夫人と言います。お母さんがルンビニの花園で無憂樹の花を摘まれた時に「オギャー・オギャー」と産声を高らかに上げました。五色の蓮の花弁が舞い、妙なる調べが流れる中、九頭の天の龍が祝して甘露の法雨を降らして体を洗いました。そして、体を清められたお釈迦さまは、東西南北に七歩歩んで、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」と言いました。

 ○お釈迦様の宣誓・宣言の姿が誕生仏です。

 ○無憂樹の花咲くルンビニの花園が花御堂です。

 ○甘露の法雨が産湯の甘茶です。

 ○東西南北に七歩歩んだのは、六つの苦しみにみちた心の状態(六道)を解脱した意味です。六つの世界を陸に投げ上げられた魚が飛び跳ねるように、心は輪廻転生するのであります。

  地獄---責め苦に苛まれる世界のことです。
  餓鬼---飢え渇きに悩まされる世界のことです。
  畜生---理性を失い本能のまま行動している世界のことです。
  修羅---醜い争いや激しい感情の世界のことです。
  人間---四苦八苦に悩まされ苦しみに耐えられない世界のことです。
  天---煩悩から解き放たれず、解脱もできない世界のことです。          

 ○「天上天下唯我独尊」は「それぞれ、唯一、かけがえのない、尊い命に目覚めなさい」というお釈迦さまの宣誓・宣言です。 

 ○「オギャーオギャー」産声は「ギャテイギャテイハラギャテイハラソウギャテイ」「行こう行こう真実(彼岸・悟り)の世界に行こう皆で行こう」の意味として取りたいと思います。

 赤ちゃんの産声は擬声語・擬音語ですので国により発音や表記が違いますが、どこの国の赤ちゃんも同じに聞こえます。赤ちゃん語は世界共通語と言ってもよろしいかと思います。
 そして、お釈迦さまのお母さんは、産後の肥立ちが悪くて一週間後に亡くなってしまいます。そこで、お母さんの妹にあたるマハープラジャパティーに育てられることになります。
 さて、本題に入ります。『言葉を考える』無門関第24則『離却語言』風穴和尚、因みに僧問う、「語黙離微に渉り、如何にせば通じて不犯なる。」穴云く、「長しえに憶う江南三月の裏、鷓鴣啼く処百花香し」口語訳は、或る僧が風穴延沼和尚に尋ねた「言葉は、表現に限界があり、言い尽くせないので、真意が伝わらない。伝わらないと言って黙っていては、これもまた真意が通じない。どうしたら通じるのか。」 これに対して、風穴和尚は電光石火すぐさま杜甫の詩を引用して答えた。「いつも思い出すのが江南の三月春景色、鷓鴣が啼き百花繚乱の香り。」と。
 質問に対して、返答がまともにできていないように思ってしまいます。会話が成り立っていないとも言えます。当人同士は真剣であっても第三者から見ていると、滑稽にさえ思えるのであります。言葉の限界を承知しながらも、言葉の限界に挑戦しながら自由自在に余すところなく言葉を使いこなすところに、真意を表す妙技と言うものがあります。
 表現に限界のある言葉や文字を通じて、真意を伝える難しいさを知ったうえで話し、受け取る側の力量により受け取り方も随分変わってくるものでありましよう。



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