●徳山托鉢

61.平成28年8月6日(土) 施餓鬼法要の一席
 演題「徳山托鉢」 布教師 住職(服部潤承)


 今年もお盆の季節が参りました。故人を思う季節です。普段は何かと忙しくて思う暇もなく通り過ぎてしまいます。日本では、祝日になっておりませんが、全国的な国民の休日となっており、お正月と同じように休暇を過ごしております。
 ところで、世界中頻繁にテロが起こっております。関係のない一般市民が巻き込まれ犠牲になっています。逃げる間もなく一命を落とし空しい最期を迎えられています。いかなる理由があろうとも犠牲になった方にとっては、たまったものではありません。なんでこんなところで死ななければならないかと言う無念さだけが残ります。
 この度の「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で、重度の障がい者19人の多くの方が刺殺されました。その前にも大阪教育大付属池田小学校での多くの児童が殺傷されました。事件の凄惨さに怒りさえ覚えるのであります。「なんの落ち度もない」、・抵抗もできない・逃げることができない人をターゲットに、一人ずつ殺傷していった悪行は鬼畜と言わざるを得ません。
 人間社会は、弱肉強食であってはならないと思います。私たちは生れつき智慧をいただいております。その智慧によって、共生することができます。キリスト教では、神様は人間を神様に似させて創られたと教えています。西欧諸国では、障がい者を天使の使いと言われおり、大切に扱われます。日本では障がい者を神様として崇めました。その代表的なものが七福神です。この事件はなんという所業でしょう。

 さて、本日のテーマは、『徳山托鉢』です。無門関の13則にあります。
 13則は徳山宣鑑(81歳782---865唐、徳山の棒で有名)と巌頭全豁(33歳828---887唐)が雪峯義存(39歳822---908)をお悟りに導くために大芝居を演じた話です。
 ある日、徳山老師が食事の合図がないのに勘違いをして、自鉢(食器)を持つて食事会場に行こうとしました。
 それを見ていた雪峯は「自鉢を持って、どこへ行くのですか。まだ食事の時間ではありません。」と申し上げると、徳山老師はすごすごと自室に帰って行かれました。
 雪峰は、徳山老師から一本取ったことを得意げに巌頭に話しました。これを聞いた巌頭は、聞こえよがしに「徳山老師ともあろう方が、『未だ末後の句を会せず(究極の真理を悟っていないのか)』と雪峯に言います。
 『未だ末後の句を会せず』は、徳山老師に向けられたのではなく、雪峯に向けられるべく雪峯をお悟りに導くために発せられた台詞であったのであります。そのことを巌頭から打ち明けられた徳山老師は、巌頭が雪峯を思うあまりの発言とわかり、今まで以上に説法に力が入ったそうであります。
 『末後の句』に何か特別な意味があるわけでもなく、巌頭が徳山老師に言ったかのように見せかけ、雪峯を導くための方便に過ぎなかったのであります。
 日常にもこのようなことがよくあります。なかなか直接言えないことがあります。人を介して云ったりすることもあります。違うところに向かって話すこともあります。聞こえよがしに話すこともあります。
 夫婦喧嘩をして、ご主人は腹の蟲が収まらなかったのか、飼い犬に当たってしまいました。それを見ていた奥さんは、飼い犬のことが不憫になりました。夫婦喧嘩で飼い犬がいい迷惑をしていると気づきました。徳山老師にしろ、夫婦喧嘩の飼い犬にしろ、例え芝居であっても気づけばいいのであります。禅語に『指月指』というのがありますが、月を示す指のように、月に気付けば良いのであります。



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