●大力量人

52.平成26年3月21日(金) 春季彼岸会の一席
 演題「大力量人」 布教師 住職(服部潤承)

 
 東日本大震災も、この3月11日で、まる三年になりました。今も行方不明の捜索が続けられています。
 宮城県女川町のバス運転手高松康雄さん(57歳)は、潜水士の国家資格を取得しました。高松さんの奥様の祐子さん、当時47歳は、七十七銀行女川支店に勤務されていて、地震当日、行員12名は、支店長の指示で支店の屋上に避難しましたが、津波に呑み込まれてしまいました。
 高松さんは、宮城海上保安部の潜水士による捜索活動をジッと見守るうちに、「人任せではなく、自分で海に潜って捜したい」と思い始め、ダイビング教室に通うようになります。そして、念願の潜水士の資格を獲得しました。ここに至るまでの康雄さんを駆り立てたものは、一体何だったのでしょうか。「津波に呑み込まれる直前に奥様から届いた最後のメールに、帰りたい≠ニありました」「何としても捜し出し、奥様を連れて帰りたい」と言う一念がそうさせたのであります。
 お釈迦様は、涅槃に入られる時、歎き悲しむお弟子達に向かって、「これからの私亡き後は、自分を灯明として、私の教えてきた法を灯明として生きなさい。他を決して拠りどころとしてはなりません」と言われました。これを「自灯明・法灯明」と申します。今、自分にとって何ができるかが、大切だと思うのであります。
 お釈迦様の入滅が近いことを伝え聞いたお弟子達は、急遽クシナガラのお釈迦様の許に向かいました。お弟子ならずとも、象や犬や猫や猿や鳥や小さな虫までもが、その道を急いだと言われています。
 お釈迦様は、阿難尊者に命じて、一つの根元から二本の幹が出ている沙羅双樹が四方を囲むところを「しとね」として、設えさせました。
 北枕に右脇を下にし、西に向かって静かに横になられました。この時、荘重な楽の音が流れ、紗羅の花が白色に変じたと、涅槃経で、「諸行無常」を説いています。時は、紀元前383年(紀元前486年の説もあり)2月15日、満月の夜のことでありました。
 このようにして、お釈迦様は今まさに入滅されようとする時、お弟子達に説かれた最後の教えが「遺教経」であります。漢字の数にして2500字ばかりのお教えで、時間にして15分程度のものですが、お釈迦様の45年間(35歳から80歳)に及ぶと言われる教えの総大集をダイジェストにして説かれました。
 「身を制し、欲を慎み、戒を守り、喧騒を避け、禅定を修し、智慧を得る」ことを説かれ、「智慧の光によって、無明の闇をのぞく」ことを諭されました。
 中でも、「忍の徳たること、持戒苦行も及ぶ能わざる所なり。能く忍を行ずる者は、乃ち名付けて有力の大人≠ニ為すべし」(忍耐は偉大な徳であって、よく忍耐する者は、それこそ名付けて力量のある大人≠ナある)とおっしゃつています。
 聖書にも、ローマ人への手紙第5章4節に、「忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す」とあります。同意とは言えないものの、あたらずとも、遠からずと言えそうな有名なフレーズであります。
 ところで、禅家・禅門では、有力の大人≠どのように言われているのでしょうか。 そこで、「無門関」の第20則に大力量人(大力量の人)≠ェあります。
 ‘松源和尚曰く、「大力量の人、甚に因つてか脚を擡げ起こさざる。」又曰く「口を開くこと舌頭上に在らざる。」’
 松源和尚が言いました。「大きな力量のある人が、どうして自分の脚をあげないのであろうか。つまり、一般社会に入っていき、奉仕をしないのか。」と。また、言いました。「大きな力量のある人が、どうして口を開いて舌を使わないのか。つまり、一般大衆に向かって法を説かないのか。」と。
 松源崇岳和尚は、西暦1132年〜1202年、南宋の人で「無門関」を撰述した無門慧開禅師と同時代に生き、臨済宗楊岐派の禅僧であります。時代は違いますが、宗祖隠元禅師と同宗同派の方であります。
 大きな力量のある人は、一般社会に向かっては、利他行・社会奉仕をし、一般大衆に向かっては、布教・教化・法を説くものと思われがちです。これは、固定観念とか先入観と申します。また、一般社会では、常識と言われるものでありましよう。
 ところが、固定観念や先入観、そして一般の常識こそが、分別妄想の元凶と言わざるを得ません。そこからの脱却・それらを放下するところに禅的な意味が存在するものと思います。
 とりわけ、「そうあるべきだ」と言う世間での「常識」ほど、当てにならないものはありません。時代や場所によって都合よく変化するものであり、変えられるものであります。そのような当てにならない「ならわし」のようなものに捉われてしまって、永久不変の真理を見失うことがあってはならないのであります。
 ところで、日本の歴代首相の中に「大力量人」に近い方がおられます。その方の発言に注目したいと思います。
2001年4月、
「もし○○党が改革政党にならなかったら、私が、○○党をぶっ潰します。」
2001年〜2002年、
「私の内閣の方針に反対する勢力、これはすべて抵抗勢力だ。」
2004年11月10日、××党代表に「戦闘地域と非戦闘地域について具体的にどういう状態をさすのか」と聞かれて、
「自衛隊の活動しているところは非戦闘地域である。」
2004年11月、与党の夕食会で、
「○○党はとんでもない男を総裁にした。」
2005年8月8日衆議院解散後の記者会見で、
「その時ガリレオはそれでも地球は動いている≠ニ言ったそうであります。」
2006年11月7日、日本夢づくり道場での講演で、
「政治家は使い捨てにされることを嫌がってはいけない。総理大臣だって使い捨て。甘えちゃダメです。使い捨てされるなんて嫌だ≠ネんて言った人は、国会議員にならない方が良い。」
2009年2月12日、
「わたしについて、△△首相が常識の通じない男だとか、奇人変人とか言っているようだ。」
2011年9月18日、川崎市のホテルで講演した際に、
「原発が最もコストが安いからと言って、新設・増設とはいかない。自然エネルギーや再生可能エネルギーの技術開発に投資し、環境先進国を目指すべきだ。」
2013年8月中旬フィンランドの核廃棄物最終処理場「オンカロ」を視察後、新聞記者に聞かれて、
「原発ゼロしかないよ。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しい。総理が決断すればできる。あとは智慧者が智慧を出す。」
 ◆◆元首相のように、たとえ奇人変人と言われようと、常軌を逸することに躊躇せず、一念を貫き、分別妄想から脱することができれば、「大力量人」に近づいていると言えましょう。長らくご清聴ありがとうございました。
 



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