●坐久成労

 5.平成14年8月3日(土) 施餓鬼会の一席
  演題「坐久成労」布教師 住職(服部潤承)


 ただ今、おせがきのお勤めを終わりました。長いお勤めと感じられたかと存じます。私達の中に潜んでいる餓鬼の心が仏様に変わっていくためには、長い修行が必要かと思います。
 佛日寺では、お盆行事の手始めとして、一早くこのおせがきのお勤めを、八月の第一土曜日にいたしております。
 もし、皆様の御先祖様やお身内の方が、餓鬼道の世界に堕ちていらっしゃいましたら、悲しいことでございます。 そこで、お盆のお里帰りの前に、餓鬼道の世界から脱出されますようにと、念入りにお勤めをしております。 これで安心して、お盆には、皆様のところにお帰りになることと存じますので、どうか、御家族でお出迎えをして、楽しいお盆の三ケ日をお過ごし下さい。
 話は変わりますが、六月に、ワールドカップが日韓合同で、開催されました。サッカーについて、何も知らない者でも、俄ファンと言われるぐらい、世界中が沸いたのであります。
 スポーツの世界は、勝負の世界で、二分法で割り切る世界であります。 勝ったと言って喜び、負けたといって悲しむ。まさしく人間世界を縮図化したものであります。 それは、苦楽の世界であります。 しかし、勝負にこだわらなくなった時、苦しみも楽しみも終わります。
 ところで、サッカーの試合を観ていて、気付いたことがあります、 野球でしたら、攻撃と防御の二つの世界が存在しているのに、サッカーは、攻撃と防御が一つの世界に存在し、それが同時進行しているのであります。 つまり、攻撃即防御、相対的に存在していないのであります。 一つの状態で存在しています。まるで禅そのものではないかと思いました。
 昔から、武道は、禅に通じるとよく言われます。空の精神状態・無の心意気・我を忘れた高度な心情に至らなければ、それは武道でなく、勝負を決するだけのスポーツにすぎないと言われました。
 しかし、ワールド・カップを観ていましたら、精神面だけでなく、ゲームそのものも禅に通ずるのではないかと思いました。 攻撃と防御が、一体で存在しています。攻撃と防御が、同時に進行しているのであります。それは、天地宇宙の有り様、つまり、裏も表もない・右も左もない・上も下もないように、二つに分別できない有り様なのであります。
 前書きが、随分、長くなりましたが、本題に入ります。本日の本題は、「坐久成労」であります。
 『碧厳録』第17則に、
 挙す。僧、香林に問う。如何なるか是れ祖師西来の意。林云く、坐久成労。
 ある修行僧が、香林澄遠(〜987)和尚に尋ねました。 これは一体、どう言うことなのか。本当の意味合いを教えてほしい。″達磨大師が、わざわざ、西の国インドから、中国に来られたことを。″ そこで、香林澄遠和尚は、「坐久成労」と答えたのであります。「坐久成労」を言い替えれば、坐、久しうして、労を成す・長い間、坐っていて、いささか疲れてしまった。 と言う意味合いであります。
 皆さんは、この問答をどう思いにになりますか。達磨大師がインドから中国に来られた本当の意味はの問いに対して、長い間、坐禅をしたので、少々疲れたと言う、答えは、あまりにも、掛け離れていて、この二人の間には、会話が成り立っていないのでは、ないのかと思ってしまいます。
 毎週日曜日、午後八時前に、TBSテレビで、鈴木史郎アナウンサーの司会による「からくりTV・ご長寿早押しクイズ」と言うお年寄りのクイズ番組があります。 7月28日のクイズでは、ウルトラマンのテーマ曲「光の国からぼくらのために来たぞ我らの…」の後に来るのは何か、の問いに対して、お年寄りの答えは、1、年金・2、悪魔大使・3、レバニラ定食・4、保険年金マン等でした。
 常識を超越した意外な答えが続出し、テレビ視聴者を笑わせる番組になっており、お年寄りを小バカにしたように思われます。
 しかし、お年寄りは、真面目に真剣に答えていらっしゃいますので、これは、まるで禅問答ではないかと思ってしまいます。
 常識を超越した意外性、しかし、そこには真理を言い当てた意見と実績が中に含まれているように思うのであります。 香林和尚にとって、達磨大師が中国に来られた意味なんか、別段、問題ではなかったのであります。 それよりも、達磨大師が長年、坐禅を続けたことが重要なのであります。 理屈など不要で、ただ坐り続けた者が、心地よい疲労感を体験する。 この一点を、グサリと急所を言いあてているのであります。
 坐久成労「坐り続けて、少々疲れたわい」は、坐ったものだけが、感じた唯一無比の言葉として、味わいったいものであります。
 古代ギリシア哲学者のソクラテスは、弟子のプラトンに、いつも「魂のお世話をしなさい。」と言っています。
 もちろん、お盆ですから、亡き方の魂も、お世話しなければなりませんが、私自身の魂もお世話をしなければなりません。 坐久成労は、私達の内なる魂をお世話した爽快感を言っているのではないかと思います。
 ご清聴ありがとうございました。



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