●非心非仏

45.平成24年8月 4日(土) 施餓鬼会の一席
 演題「非心非仏」 布教師 住職(服部潤承)

 
 本日は、お盆のお施餓鬼の法要を勤めましたところ、最後までご随喜賜りまして厚くお礼申しあげます。
 近頃、世間を賑わしているものに、大津市の自殺問題があります。
 平成23年10月11日、大津市の中学2年生男子生徒(当時13歳)が自殺。大津市はいじめと自殺との因果関係を認めませんでした。ところが、今年7月6日、大津市長が陳謝。第三者による調査委員会を立ち上げ再調査する意向を表明。7月11日、滋賀県警が中学校と市役所を家宅捜索に入りました。7月13日、滋賀県警が中学校教諭らの聞き取りを開始、7月14日、中学校の校長の記者会見に続き、7月16日には野田総理がいじめ問題で国民に異例の呼びかけをしました。7月18日、自殺した生徒の遺族が同級生らを刑事告訴し、大津署によって受理されました。
 一方、民事訴訟としては総額7720万円の損害賠償を求めて大津地方裁判所に提訴し、被告の大津市は和解を申し出ております。
 このような事態になりますと、常に初心に戻る必要があります。江戸・明治時代の教育はどのようなものであったか、参考にするのが宜しいかと思います。まさしく温故知新(故きを温(たず)ねて新しきを知る『論語』)であります。
 薩摩藩の教育法に郷中(ごうちゅう)教育があります。薩摩藩加治から多くの偉人を輩出しています。西郷隆盛・大久保利通・東郷平八郎などであります。―― 嘘を言うな・負けるな・弱いものいじめるをするな・武士道の義を実践せよ・心身を鍛練せよ・質実剛健たれ ―― など現代社会にも十分役に立つ価値観がここにあります。
 会津藩では会津武士の子供が6歳になると、4年間「什(じゅう)」という組織に入り、毎日最年長の什長(じゅうちょう)の指示にしたがって「什の誓ひ」を大声で復唱しました。
 一、年長者の言ふことに背いてはいけませぬ。
 一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
 一、嘘を言ふことはなりませぬ。
 一、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
 一、弱いものをいぢめてはなりませぬ。
 一、戸外でモノを食べてはなりませぬ。
 一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ。
ならぬことはならぬものです。この「什の誓ひ」を破ったものには、軽いのは「しっぺ」、重いのは「シカト」があり、幼い頃からしっかりと「罪と罰」を身につけさせたところに、江戸時代の知恵がうかがえます。
 明治時代になると、明治天皇がご自身のお言葉で国民に道徳のあり方を六文三一五字で語りかけ、率先してこの道徳を守り推し進めていく決意を示されました。これが「教育に関する勅語」であります。明治23年(1890年)10月30日に煥発(かんぱつ)され、昭和の終戦後、教育基本法が制定されるまでの半世紀以上にわたって精神的支柱として大きな役割を果たしました。これは、江戸時代の水戸藩の学問「水戸学」や明の朱元璋(しゅげんしょう)の六諭(父母に孝順にせよ・年長を尊敬せよ・郷里に和睦せよ・子孫を教訓せよ・各々生理に安んぜよ・非為をなすなかれ)を参考にしたようです。
 一、親に孝養をつくそう(孝行)
 二、兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
 三、夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
 四、友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
 五、自分の言動をつつしもう(謙遜)
 六、広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
 七、勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
 八、知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
 九、人格の向上につとめよう(徳器成就)
 十、広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
 十一、法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
 十二、国難に際しては国のために力を尽くそう、それが国運を永らえる途(義勇)
 この12の徳目を50年以上の間、四大節(四方拝、紀元節、天長節、明治節)に奉読、修身の教科書に掲載されていましたが、終戦後、GHQ(連合国軍の最高司令官総司令部)が教育勅語の取り扱いを禁止しました。終戦の混乱時に、取捨選択がうまくできず、良いものまで捨ててしまったように思います。
 もう一つの話題になっているものに、ヒッグス粒子の発見があります。
 これまでに発見されている粒子には、ものを形づくる粒子と力を伝える粒子の2種類がありました。新しく発見されたヒッグス粒子は、そのどちらにも属さない新しい存在で、これらの粒子に質量(重さ)を与える働きがあります。
 137億年前、宇宙の誕生と言われるビッグバンの大爆発で、多くの素粒子が生まれました。当初は質量(重さ)を持たず、自由に宇宙を飛び回っていました。ところが、ヒッグス粒子が生まれ宇宙空間に充満しました。すると、多くの素粒子とヒッグス粒子がぶつかり合って、とうとう素粒子は質量(重さ)を持ち、物質を構成していきました。
 NHKでわかりやすく例えていました。パーティー会場に訪れた人々たちが「ヒッグス粒子」とします。その中を人気アイドルが通り過ぎようとすると、多くの人に取り巻かれ動きづらくなります。この「動きづらさ」が質量(重さ)だと言うわけです。ヒッグス粒子に取り巻かれた素粒子は重くなり、素粒子に重さが生まれ、それが互いにくっつき合い、原子をつくったのが物質であります。このようにして物質のあふれる宇宙を形成し、私達も宇宙の一員を担っております。
 さて、本日の本題「非心非仏(ひしんひぶつ)」に入りたいと思います。無門関第三十三則に、
 馬祖、因(ちな)みに僧問う、「如何なるか是れ仏」 祖曰く、「非心非仏」
 無門曰く、「若(も)し者裏(しゃり)に向かって見得せば、参学の事(じ)畢(おわ)んぬ。」
 現代語訳をいたしますと、馬祖道一禅師にある僧が尋ねました。「仏とはどういうものでしょうか。」と。そうすると馬祖道一禅師は言います。「心でもないし、仏でもない。」と。
 無門慧開禅師が言います。「もし、ここのところ(非心非仏)がわかれば、禅の修行は終わりだ。」と。
 真理に目覚めれば、心・仏と言葉を言う必要はありません。本質がわかっていないものに、言葉をつくして説明したところで、徒労に終わってしまいます。
 「非心非仏」の字面だけの理解にとどまらず、実践から得られた真理に目覚めると、禅の修行は卒業に値するのであります。
 真理の目覚めは、言語を超越したところにあります。普段、私達の生活は会話で成り立っております。喋らなかったら、意志の疎通ができませんので、社会生活が成り立ちません。
 しかし、禅の世界では非言語生活(言葉・文字による理解をあえてしない)・非言語思考(言葉・文字による思考をあえてしない)を最重要視しております。
 かつて人間も非言語生活をしていましたし、動物たちは今も言語を持たず生活しております。人の心の働きが言語によらない・言語を用いないで思考する中から生まれる妙なるものが大切であります。
 皆さんに坐禅をすすめるのは、非言語の思考から新しいアイデアやプログラムを創造し、役立てていただきたいからであります。



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