●百尺竿頭進一歩

21.平成18年8月5日(土) 施餓鬼会の一席
 演題「百尺竿頭進一歩」 布教師 住職(服部潤承)


 いつの間にやら遅い梅雨明けもし、真夏を迎えております。 暦の上では、後3日で立秋となります。 早いものです。 この間、お盆の行事をしたとおもっておりましたら、もう一年が経ってしまいました。 月日の経つのは速いものでございます。
 落語に、このような話があります。 お日さんとお月さんと雷さんが旅をしていました。 或る旅館の朝のことです。 お日さんとお月さんは、いつもの通り早く起きて出発しました。 しかし、雷さんだけは、疲れのせいか朝寝坊をしてしまい、寝床のまわりを見回しますと、 お日さんとお月さんがいません。 旅館の方に尋ねました。 「お日さんとお月さんは、どうしましたか。」と。 すると、 「朝早く旅立たれました。」と。 そこで、雷さんが言いました。 「月日のたつのは早いものだ。」と。 これは、地口でありますが、それにしても、月日の経つのは速く、おちおちしておられません。
 目まぐるしく移り変わるなかで、色々なことがありました。 北朝鮮・正式国名「朝鮮民主主義人民共和国」からミサイルが7発も発射されました。 ロシア領海域に落下着水したそうですが、 もし、日本のどこかに落ちていましたら、どうなっていたでしょうか。 考えてみても、恐ろしいことであります。 当然、たくさんの犠牲者が出ていたに違いありませんし、戦時下の緊急事態に陥っていたかもしれません。 もちろん、日米同盟の関係もあって、アメリカは黙っていないでしょう。 悪くすると、イラクのようなことになってしまうかもしれません。 かつて、イラクはクウェートに侵攻して、湾岸戦争に至ってしまいました。 そして、9・11ニューヨークの貿易センタービルへのイスラム原理主義者の自爆テロが引き金に、 イラク全面戦争に突入したのは記憶に新しいできごとであります。
 前フセイン大統領は、囚われの身となり、終焉を迎えたかのように思えましたが、国政は安定せず、 民族間や宗派間の争いは絶えず、いつまでもくすぶり続けています。 日本からも陸上自衛隊が復興支援で派遣されていました。 この間、見通しがついたのでしょうか。 撤収を完了したとか。 自衛隊員に一人の犠牲者も出なかったことは、せめてもの喜ばしい出来事だと言わざるを得ません。 北朝鮮のミサイル発射が原因で、かつてのイラク戦争のようなことにならないように、祈るばかりでございます。
 近頃、親が子供を殺し、子供が親を殺す事件がニュースで毎日のように報じられています。 こんなに平和で裕福な日本で、凄惨な事件が立て続けに起きているのは、どう言うことなのでしょうか。
 末法の時代に入って久しくなります。 末法と言うのは、お釈迦さまが亡くなって、正法時代(仏の教えが良く保たれ、 正しい修行によって悟りが得られる時代・5百年)・像法時代(教えや修行が行われるだけで、悟りが得られなくなった時代・1千年)に、 次ぐ次期で、仏の教えがすたれ、教義だけが残る最期の1万年間を言います。
 いつの時代にも、このようなことがあったと思いますが、あまりにも目立って、頻繁におきるのは、末法の時代だからでしょうか。
 例えば、この間、豊中市での殺人事件です。
 阪大工学部の4年生、24歳が、お母さんを金槌で何度も頭を叩いて殺してしまいました。 強盗にみせかけていたとか。 捕まるまでパチスロで遊んでいたとか言う事件でした。 国立大学法人と言えば、国民の税金から補助を受けての運営、当然安い授業料で通学できます。 羨ましい限りです。
 家計の足しにとパートをしているお母さんから、小言を言われただけで、「かあっ」となって、 善悪の見境もつかないで、殺してしまったのであります。 色々と事情があろうと思いますが、何不自由なく生きてこられたことが逆に悲劇を招いたのでありましょう。 「かわいい子には旅をさせろ。」と言う言葉があります。 現在、間違った解釈をしている方がたくさん見受けられます。 自分のかわいい子供だから、豪華な海外旅行でもさせて、喜ばしてやろうと言う意味ではありません。 昔の旅と言うのは、自分の足で一歩一歩歩いたのであります。 ホテルなどありません。 夜になると野宿をします。 きっと辛い旅だったのでしょう。 それを敢えてさせることを言います。 かわいい子供だからこそ、将来のことを考えて、早くから額に汗し、苦労をさせることでありましょう。
 ところで、五逆罪と言うのがあります。 5種類の最も重い罪悪のことで、1番目が母を殺すこと、2番目が父を殺すこと、3番目が阿羅漢・悟りに達した聖者を殺すこと、4番目が僧の和合を破ること、5番目は仏身を傷つけることの五つを言います。 これを犯すと無間地獄・阿鼻地獄に落ちるとされています.
 実に、その状況を想像してみましても、地獄の様相そのものだと言わざるを得ません。
 さて、本日の本題「百尺竿頭進一歩」に入りたいと思います。
 『無門関』の第46則に、
 石霜和尚云く、「百尺竿頭、如何が歩を進めん。」又、古徳云く、「百尺竿頭に坐する底の人は、得入すと雖然も、未だ真と為さず。百尺竿頭に須らく歩を進めて、十方世界に全身を現ずべし。」と。
 現代訳をしますと、
 石霜和尚が言った。 「百尺の竿の先に立って、さらに、どのようにして一歩をすすめたらよいのか。」と。 また、或る古徳『長沙景岑』が言った。 「百尺の竿頭に安住している人は、悟りを開いてると言っても、本当に悟りを開いたとは言えない。 百尺竿頭より、さらに一歩を進めて、世間に自分の全身を現わせ。」と。
 33メートルの竿を登ることは、禅の修業を意味しています。 竿の先端は、悟りに達することを意味しています。 そうすると、竿の先端から、さらに、一歩を踏み出すとは、どう意味を表わしているのでしょうか。 竿の先端から、一歩を踏み出すと、33メートルの下に落ちてしまいます。 落ちると言うイメージは良くないのですが、元に戻ると言う方が良いかもしれません。 お高く留まっているのではなく、世間に飛び込んで行くと言うことでしょう。
 宗派は違いますが、浄土真宗の廻向の意味に二つの働きがあるとしています。 一つは、お浄土へ往生して仏となると言う往相廻向と、もう一つは、お浄土から仏となって還って来て、 私達を導くと言う還相廻向の2つの働きを持っていると言います。 すると、百尺の竿の先に登り詰めるのが、浄土真宗の言う、お浄土へ往生して仏となる往相廻向と重なり合いますし、 百尺の竿の先から一歩を踏み出すのが、浄土真宗の言う、お浄土から仏となって戻って来て、 生きとし生けるものを導く還相廻向に相重なり合っているように思います。
 8月は、丁度お盆の月であります。 お浄土からお仏様となって帰って来られるご先祖様を始めお身内の方・親しい方をお迎え致しましょう。



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